2017年タイ一人旅 カンチャナブリを自転車で散策

 バンコク・南バスターミナルを出発した西に向かって高架道路を走り出す。タイに初めてきたのは6年前の学生時代以来だが、当時と比べれば驚異的なスピードでバンコクは発展していた。6年前にはすでにBTSやメトロが既にあったとはいえ建設中の建物ばかりで、典型的なアジアの発展途上国のハリボテ首都といった印象だった。それが2017年、高架道路から見下ろすバンコクの町並みは、ビルに付けられたミミズのような象形文字が掛かれた看板を隠し、目隠しをされてここにつれてこられれば、東京と見間違えてしまうほどの発展ぶりだ。町から街へ、そんな感じだ。そんな風景が続くのも40分ほど。バスは中心部の高架道路を降り、郊外の広い国道を走りだしていた。郊外まで来ると、ショッピングセンターやコンビニ、会社のビルなどはめっきりとなくなり、交通量もガクッと減った。バンコク中心部と比べると路面が悪く、段差にタイヤが乗りあげるたびにバスはガタガタと激しく社内は揺れるが、バスはそんなことを気にすることもなくどんどんとスピードを上げてく。自分のスリリングな気持ちが刺激され、東南アジアの異国を旅しているという感覚が湧いてきた。

 バスは終点のカンチャナブリまで田舎の町の停留所を何カ所か停車していく。途中、田んぼのあぜ道にも侵入していき、乗客をどんどんと拾っていく。バンコクでは10人にも満たない乗客がカンチャナブリの街に入る頃には、バスは満席になっていた。最後の停留所では立ち乗りの乗客が出るくらいの盛況ぶりで、1時過ぎにカンチャナブリのバスターミナルに到着。乗客をかき分けてバスを降りると、東南アジア特有のトゥクトゥクドライバーの手厚い歓迎を受ける。あらかじめ予約しておいたホテルはバスターミナルから3kmくらいで、雨季間近の暑い中を50ℓのバックパックを担いで歩くのは少々嫌気がさしたが、どのドライバーもホテルまでの言い値は100バーツ(約300円)。自分の経験から100バーツは高い。バンコクからパタヤまでの高速バスが120バーツ。たかだか数百円ぐらいのことでと大人げないとも思うが、自分をネギを背負ったカモだと思いボッタくろうとしてくるドライバーが無性に腹立たしく思え、また彼らも心からの悪意からではなく家族のために少しでも日銭を稼ごうと必死なわけだが、そこまで酌量する必要もないなと自分自身を納得させ、「マイ・アオ!(No thank you!)」と、きっぱり突っぱねてホテルで荷を降ろすべく歩き出した。


 地元の市場、川沿いの道を歩くこと20分でホテルに到着。予約したホテルはSKY Hotel。プール付きのリゾートホテルのような感じだが、オフシーズンだったこともあり一泊素泊まり2500円と格安だった。チェックインして荷をおろしして、さっそく町の散策に出かける。ホテルの路地から出た大通りにレンタルサイクルショップを発見して中に入ってみると、観光客が少なく暇そうだった店番のおばちゃんが愛想よく僕を迎えると、バイクを熱心に勧めてきた。バイクのレンタル代は一日200バーツ(約600円)で返却は夜中までに返せばよいということだった。僕が免許がないと断っても、「そんなものいらない。問題ない」と笑っていて、郊外の地図を出してあれやこれやと説明してくれた。おばちゃんの話を聞いていると辺境ツーリングの旅にも旅情を誘われたが、バイクを運転すること自体が学生時代の教習所以来だったので無謀極まりない挑戦だと思い、自転車を借りることにした。おばちゃんは少し残念そうだったが、店の奥においてある自転車を見せてくれた。その中でもサドルが柔らかそうな物を一台選ぶと、奥から若い男が出てきてタイヤの空気圧やブレーキの調整などをしてくれた。値段は夜までで50バーツ。後ろのブレーキの効きが甘く坂道で危うい思いもしたのだが、値段が相応というとこか。


 レンタルバイク屋を自転車で通りを走り出す。向うはクウェー川鉄橋駅。明日予定している泰緬鉄道で通る映画「戦場にかける橋」で世界的に有名になった鉄橋がかけられているが、日本人にとっては旧日本軍が当時のイギリス戦争捕虜や現地の労働者を酷使していて血で血を洗いながら工事をした悪名高き橋でもある。大通りは観光客が少ないオフシーズンのせいか、通りのレストラン、バー、雑貨屋は閑古鳥が鳴いていたおり、通りには野良犬が至るところでたむろしていた。その犬たちが凶暴なもので、会う犬会う犬に咆えら追いかけられた。自分は生来、極度の犬嫌いなので、この時は心底自転車を借りててよかったと思った。


 クウェー川鉄橋駅まで野犬から逃げつつ辿り着いたのは夕方の4時過ぎ。
鉄橋は鉄道が通る時間以外は歩行者に解放されていて、地元タイ人のカップルや白人旅行者がチラホラと歩いていた。沈んでいく太陽を背景に見るクウェー川鉄橋はどこか長閑な風景の一部ではあるが、その歴史的な背景を思い出すと日暮れの時間というのも相まってかどこかノスタルジックな感覚に浸ってしまう。屋台のベンチに座って冷え切っていないコーラを飲みながら、観光目的とはいえ母国の負の遺産ともいうべき場所を訪れることにどこか後ろめたさを感じてしまった。駅のはずれの方に歩いていくと、いかにも東南アジアの汚い公衆トイレの脇にひっそりと戦時中に泰緬鉄道ととして本当に使われていた機関車が展示してあった。



 戦後も既に70年が経ち当時を知る人はどんどんいなくっている。戦争体験者の自分の祖父や祖母も他界している。当時の橋や建造物というのはそのダイナミックさに観光資源ともてはやされ、当時は最先端の動力であった鉄道はその役目を終えどんどん忘れ去られていく。現世は無常か。
 鉄道駅周辺の散策を終え日がすっかり暮れたころにホテルに帰ってくる。ホテルの併設のレストランでは地元のカップルの結婚式が催されていた。部屋には洋風のウエディングソングに人々の楽しそうな声が響きわたっていた。


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